スタートアップの企業価値評価|売上のない会社に値段がつく理由
「売上がまだ数千万円しかない会社が、企業価値30億円で資金調達した」というニュースを見て、根拠がわからないと感じたことはないでしょうか。上場企業の評価に慣れている人ほど、この数字は不思議に見えます。
実際、スタートアップのバリュエーション(企業価値算定)は上場企業とは別のロジックで動いています。この記事では、なぜ標準的な手法が使えないのか、では何が使われているのか、そして経営者が最初に理解すべきプレマネーとポストマネー、希薄化の関係を整理します。
なぜDCF法が機能しないのか
企業価値評価の王道はDCF法(Discounted Cash Flow、割引キャッシュフロー法)です。将来のキャッシュフローを予測し、資本コストで現在価値に割り引く。理屈は美しいのですが、創業間もない会社に当てはめると次の壁にぶつかります。
| DCF法の前提 | スタートアップの現実 |
|---|---|
| 5年程度の事業計画が読める | 来期の売上さえレンジが数倍変わる |
| 継続企業として存続する | 数年内に消滅する確率が相当ある |
| WACC(加重平均資本コスト)を推定できる | 負債がほぼなく、株主資本コストも推定困難 |
| ターミナルバリュー(継続価値)が安定的 | 価値のほぼ全部がターミナルバリュー側に乗る |
特に最後の点が致命的です。当面キャッシュフローがマイナスなので、価値の9割以上が「予測期間の先」に集まります。つまり最も不確かな部分が答えを支配します。WACC(加重平均資本コスト)の求め方で触れたとおり、割引率1%の違いで企業価値は2割動きます。前提が動く幅がこれより桁違いに大きい世界では、DCF法は精緻な計算というより希望の表明になってしまいます。
実際に使われている4つのアプローチ
では何を根拠に価格が決まっているのか。実務では次の4つを組み合わせ、最後は交渉で着地します。
| 手法 | 考え方 | 主に使うステージ |
|---|---|---|
| 類似会社比較 | 同業の上場企業や買収事例の倍率を、売上や利用者数に当てる | シリーズA以降 |
| 直近ラウンド基準 | 前回調達の株価を起点に、進捗に応じて引き上げる | 全ステージ |
| VC法(ベンチャーキャピタル法) | Exit(上場や売却)時の価値から必要リターンで逆算する | シード〜シリーズB |
| 相場・スコアリング | 同ステージの調達相場と、チームや市場規模の評価で調整する | プレシード〜シード |
類似会社比較は「何倍か」ではなく「何の倍数か」
赤字企業にPER(株価収益率)は使えません。そこで売上倍率(EV/Sales)、SaaS(Software as a Service、ソフトウェアをサービスとして提供する形態)ならARR(Annual Recurring Revenue、年間経常収益)倍率、金融サービスなら預かり資産倍率のように、その事業のドライバーに対する倍率を使います。倍率の意味と限界はPER・PBR・EV/EBITDAとはで整理しています。
ここで注意したいのは、同じ売上10倍でも成長率30%の会社と150%の会社では正当性が全く違うということです。倍率は成長率と粗利率で説明できて初めて根拠になります。
VC法の計算を追ってみる
VC法(ベンチャーキャピタル法)は、投資家側の必要リターンから逆算する方法です。数字を入れると仕組みがはっきりします。
② 投資額 3億円 × 目標リターン 10倍 = Exit時に必要な持分価値 30億円
③ 30億円 ÷ 200億円 = Exit時点で必要な持分 15%
④ 今後のラウンドでの希薄化を見込み、今回は20%前後を要求
⑤ 3億円 ÷ 20% = ポストマネー15億円、プレマネーは12億円
投資家が「10倍」を求めるのは欲張りだからではありません。ポートフォリオの多くが失敗する前提で、全体としてファンドのリターンを成立させる必要があるからです。この構造を理解すると、投資家の提示価格が個別企業への評価というだけでなく、ファンドの算数の結果でもあることが見えてきます。
プレマネーとポストマネー、そして希薄化
創業者が最初につまずくのがこの区別です。
新規投資家の持分比率 = 調達額 ÷ ポストマネー企業価値
「企業価値20億円で5億円調達」と言われたとき、それがプレマネーなら投資家の持分は5 ÷ 25 = 20%、ポストマネーなら5 ÷ 20 = 25%です。同じ言葉で5ポイント違います。タームシートでは必ずどちらの定義かを確認してください。
そしてラウンドを重ねるほど、創業者の持分は必ず減ります。数字にすると重さがわかります。
| ラウンド | プレマネー | 調達額 | ポストマネー | 新規持分 | 創業者側の持分 |
|---|---|---|---|---|---|
| 設立時 | - | - | - | - | 100% |
| シード | 4億円 | 1億円 | 5億円 | 20% | 80% |
| シリーズA | 16億円 | 4億円 | 20億円 | 20% | 64% |
| シリーズB | 45億円 | 15億円 | 60億円 | 25% | 48% |
企業価値は5億円から60億円へ12倍になりましたが、創業者の持分は48%まで下がりました。それでも創業者の持分価値は4億円から28.8億円へ増えています。比率が下がることと、損をすることは同じではありません。逆に、比率を守るために調達額を絞りすぎて成長が止まれば、大きい比率で小さいパイを持つことになります。ストックオプションプールを何%確保するか、それをプレマネー側に入れるかどうかも、ここで持分に効いてきます。
高いバリュエーションは、必ずしも良い条件ではない
エンジェル投資家として案件を見る立場からも、経営を支援する立場からも、価格だけを最大化した調達には注意が必要だと考えています。理由は3つあります。
- 次のラウンドのハードルが上がる:今回60億円で調達すれば、次は100億円以上での調達が期待されます。そこに届かないと、ダウンラウンド(前回より低い株価での調達)になります。
- ダウンラウンドの代償が重い:希薄化防止条項が発動して既存投資家の持分が増え、創業者と従業員の希薄化が想定以上に進みます。採用や取引先への説明も難しくなります。
- 優先条項が価格と交換されている:高い価格の裏で、優先分配倍率や参加型の優先株、拒否権が付くことがあります。Exit時の分配額は、企業価値だけでなくこの条項で決まります。
価格は条件の一部にすぎません。実質のリターンを決めるのは、価格と優先条項の組み合わせです。上場企業の評価との考え方の違いは企業価値評価(バリュエーション)とはと読み比べると輪郭がはっきりします。
投資家が数字の前に見ているもの
売上のない会社に値段がつく理由を一言で言えば、値段がついているのは過去の実績ではなく将来の選択肢の価値だからです。その将来の確度を、投資家は次の順で確かめています。
- 市場の大きさ。取りうる市場が小さければ、実行が完璧でもリターンが出ません。
- チーム。事業計画は必ず変わるので、変えられる人かどうかが問われます。
- 初期の証拠。継続率、単位あたりの経済性、有料転換率など、小さくても再現性のある数字。
- 資金効率。1円の投入がどれだけ次のマイルストーンに近づいたか。フリーキャッシュフロー(FCF)の考え方は、この段階でも有効です。
逆に言えば、創業者側の準備はこの4点を数字で語れる状態にすることです。壮大な予測よりも、前提の一つひとつに根拠を示せるほうが評価されます。
まとめ
- スタートアップでDCF法(割引キャッシュフロー法)が機能しないのは、価値のほぼ全部が最も不確かな将来部分に集まるため。
- 実務では類似会社比較、直近ラウンド基準、VC法(ベンチャーキャピタル法)、ステージ相場の4つを併用し、最後は交渉で決まる。
- プレマネーとポストマネーの違いは持分比率を数ポイント動かす。定義の確認は必須。
- 持分比率が下がること自体は損ではない。見るべきは持分価値と、価格に紐づく優先条項。
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